あばうとアーチェリー

Hits.23 偉大なるパラ・オリンピアン
2016.2.9


 今年は夏季オリンピック・パラリンピックの年ですね。

 大昔にテレビで観ていたオリンピックのセレモニー(開会式か閉会式か) の中で、車椅子のヨーロッパ系の女性がいました。 アナウンサーが名前を言って「アーチェリーの選手です」 と話していたのが記憶に残っています。 すでに私はアーチェリーにハマっていた頃だったので、おおすごい、 ぜひ試合が観たいと思いました。
 でもマイナー競技ですから、ロクにテレビ放送されません。 他国の選手なら、なおさら。 試合結果ですら、日本人がメダルでも取ればニュースでその映像は出ますが、 そうでなければスポーツコーナーでチラッとメダルの結果が文字で表示されるだけ。
 あれはいつのオリンピックだったか。たぶんバルセロナじゃなかったかなあ?  気にはなったけど、そのまま現在まではっきりしないまま。 今更ながらに気になったので、調べてみます。
 1992バルセロナと当たりをつけて、まずは手持ちの雑誌アーチェリーをめくってみます。 でも記事の中には見当たらない。 記事は当然、金メダリストについての話題や、日本チームの競技結果ばかり。 まあスポーツ雑誌ですから仕方ないですね。 全選手の記録は掲載されてるけど、なにせ名前も国もわからない。
 次はインターネットで。 色々検索してみるものの、それらしきものは見当たらない。 四半世紀も前だもんなぁ。 なんとかバルセロナの開会式の動画は1つだけあったので、 延々と流れる入場する各国選手団を眺めて車椅子を探してみるも、見つからない。 閉会式だったっけ? さすがに閉会式の動画は無かった。
 他に手立てはないかと、あれこれ検索。するとようやく目的人物が判明!
 バルセロナじゃなくて1996アトランタでした。 イタリアのパオラ・ファンタト(Paola Fantato)選手。 さらに調べるとオリンピック出場のパラ・アーチャーは彼女が初めてじゃなかった。

パラリンピックとオリンピックに出場している選手(英文)

 表には何人かの選手が出ていますが、 パラリンピックとオリンピックの出場年を見比べてみましょう。 オリンピックの方が出場年が古い場合は、健常者として参加していたという事です。 その後、障害を持ちパラリンピックに参加しているのです(それはそれで、すごい事)。

 障害を持ちながら、初めてオリンピックに出場した選手は、
ネロリ・フェアホール(Neroli Fairhall)、女性、ニュージーランドのアーチャー。
バイク事故により下半身が麻痺、車椅子に。 パラ陸上競技を経験の後、アーチェリーに転向。 1984ロサンゼルスオリンピックに参加。
試合結果は、女子47人中、35位。
1167・1190で、2357点。(満点は2880点)
 弓具の性能向上により現代では格段に点数が上がっているため、 わかりにくいかと思います。 矢もアルミ矢でしたし。比較としてその時の金メダルの韓国選手は、
1275・1293で、2568点でした。
 この頃のアーチェリー競技は、FITAダブルラウンド。 70・60・50・30mを各36射、計144射がFITAシングルラウンド。 これを2日間、連続して行うのがFITAダブルラウンド。288射ですよ!
 試合で144射を2日間なんて、とてもじゃないけど私は射てませんわ。 FITAダブルなんて国際大会でも出なけりゃ、やらないし。 健常者に比べて、車椅子でリカーブボウを引くというのは体力的に非常に不利です。 弓を引く時、弓の強さを受けて脚は大地を踏ん張っているのです。 下半身の踏ん張りが利かない車椅子というのは、とても大変な事なのです。
 下半身を補うために、強い上半身が必要になり、上半身の筋トレが不可欠。 また車椅子からのシュートは健常者よりも発射の高さがずっと低い。 的の高さは規定の同じ高さですから、当然、発射角度を高くしなければならない。 つまりサイトピンは低くなりますね。 健常者と同じ土俵で戦えるとは言っても、より多くの努力が必要になるわけです。
 フェアホールさんは1980・1988・2000年のパラリンピックにも出場、 彼女の活躍に大英帝国勲章(MBE)が授与されてます。

記録詳細は、 公式レポート オリンピックロサンゼルス 1984年第2巻(英文)

彼女についての記事(英文)
ネットを探すと、彼女の写真も見られます。

 次が、私が最初に探していた女性。
パオラ・ファンタト(Paola Fantato)、女性、イタリアのアーチャー。
8歳の時にポリオにかかり、車椅子に。1996アトランタオリンピックおよび、パラリンピック出場。
日本語版のウィキペディア「アトランタオリンピック」の項には彼女が 「史上初の車椅子使用選手のオリンピックとなった」とあるが、これは間違い。 ただ同一年のオリンピックとパラリンピック両方に出場した選手としては史上初。すごいです!
 このアトランタから試合形式が70mに変更。 予選は70mラウンド(72射・満点720点)、その後トーナメントのオリンピックラウンド。
結果は予選306・329で635点、女子64人中、33位。
(予選1位ウクライナの選手は332・341で673点)
残念ながらトーナメントは1回戦で負けました。
(アトランタパラリンピックでは個人銅メダル、団体金メダルに輝いています)

詳細記録  公式レポート オリンピックアトランタ1996第3巻(英文)

 1996年あたりなら、彼女の動画がネットのどこかにあるんじゃないかと思ったんですが、 残念ながらオリンピック競技映像は見つかりませんでした。
 わずかに、2004年12月の障害者スポーツ普及イベントのテレビ放送を見つけました(イタリア語)。 ファンタトさんの射が見られます。 今でも障害者アーチェリーの普及活動をしているのでしょう。

パラリンピアンインタビュー
クリックするとYouTubeの動画が見られます

 上記女性2人のように、障害者でもオリンピックに出場は可能です。 それこそ健常者以上の努力が必要ですが。なぜ男性がいないのか? それは男性だから。
 FITAダブルラウンドの頃ならば、男性は90mを射たねばなりません。 まだカーボンアローが普及する前です。 アルミ矢で90mって、当然高ポンド数の弓が必要になります。 遊びで射るのではなく、試合で点数出そうと思ったら。 パラの選手が高ポンドの弓を引いて健常者と勝負するっていうのは、そりゃー厳しいです。 オリンピック代表に選出されるまでに競うのは難しいからでしょう。
 その後カーボンアローが普及し、試合形式は70mに変わりましたが、 世界記録もぐんと点数アップし、更新され続けています。 女性に比べれば当然男性の方が、強い弓を引いてます。 そんな中でオリンピック出場権を手にするのは、かなり難しい事です。
 それでも、オリンピックに出場したパラの選手がいた、 というのは弓への愛情と勝負への貪欲な情熱が感じられて、 今回調べながら、私はとてもうれしく感じました。 自身は平々凡々のアーチャーですが、同じ弓を手にする者として、 なんかワクワクしてとても楽しかったです。

 そして今年のリオデジャネイロ オリンピック、イランのザハラ・ネマティ選手 (女性のアーチャー)がイラン選手団の旗手として起用が決まったそうですね!  オリンピックとパラリンピック両方の出場だそうで。 おめでとうございます!
ニュース記事

ワールド・アーチェリー内の記事(英文)

・今回、過去の記録を調べるのに有効だったサイト
(ワールド・アーチェリーではメダリストの記録しか無かった)
LA84財団
1984ロサンゼルスオリンピックの余剰資金から設立された民間の非営利団体。 南カリフォルニアの青少年にスポーツの機会を推進・拡大するため、 スポーツが人々の生活に与える影響についての知識を高める事を目的としている。 世界有数のスポーツのライブラリーがある。
デジタル図書館コレクション(英文)

●●息子は私大受験中、父母はネイガーショー●●
カマドキャシー
 息子が私大の入試を受験してる頃、宇都宮市内で「栃木県秋田県人会35周年記念」イベントが開催。 秋田に縁はありませんが、夫婦で超神ネイガーショーを観に行きました (このサイトのリンクページにも載せてます)。
 前日からの降雪で、もしやネイガーショーは中止になるんじゃないか、 ネイガーはたどり着けないのではないかと思いつつ、会場へ。 雪のせいで子供のお客が少ないのが寂しかったけど、 望遠レンズのカメラやビデオカメラを手にした成人男性が数人いたのが、さすがだわ。
 生のネイガー、やっと見られました。いいですねー、子供に夢を与える世界は。 これからもがんばって活動して下さい。 ポーズをとってくれた、敵役のカマドキャシーさんも(^ ^)
 ショーを観終わると、受験の終わった息子を迎えに行きました。
(あ、ネイガーの公式サイトも@homepageで、引越ししなきゃいけないじゃん!)
※ニフティの@homepageサービスが終了するため、このサイトも引っ越しました



近況:年明けから、初級者練習日以外は射場に行ってません。
すっかり体がナマってしまった。
弓が、きついわ。